日誌

2学期始業式にあたり「橋は考えた」話をしました(令和2年8月25日)

 おはようございます。校長の内田正俊です。熱中症とコロナ感染の防止のため1学期終業式に続き、放送での実施になりました。進路を実現するために頑張っている3年生は表情が引き締まっています。この夏、陸上部は西部地区1600mリレーで優勝したそうですし、野球部も少ない3年生が引っ張りました。男女バスケ部のすがすがしい試合も見せてもらいました。
 きょうは2学期のはじめにあたり「橋は考えた」という話をします。
 元加治駅に向かうときに入間川を渡る阿岩橋のひとつ下流に沈下橋(川が増水すると沈んでしまう構造の橋)が架けられています。いわゆる「流れ橋」で、欄干がなく、川が増水すると流れに沈んでしまいます。橋げたにロープでつないであるのが見えます。ということは大雨が降ると橋げたが流されてしまうこともあるということです。「沈下橋」というと、日本最後の清流と言われる四国の四万十(しまんと)川が有名ですが、埼玉県内にも相当の数があるようです。
 この橋を渡ってみて、いろいろと考えたことがあります。
 物を作るとき、「壊れないように」と考えますが「壊れるようにする」という発想もアリだということです。壊れたらなおせばいい、というか壊れないといけない。大木が流れてきたりして、橋がせき止めてしまうと、かえって危ない。これは自動車の構造にもあって、万一衝突しても車が壊れることでクッションの役割をして歩行者や乗っている人へのダメージを少なくする。壊れることで人間を守るということです。
 橋から見ると無理しないで壊れる。けれどすぐなおしてもらえる。壊れたら近くの人が助けてくれる。壊れることで生き延びることができる。
 狭山市の入曽に住んでいたこともある吉野弘(1926-2014)という詩人の有名な作品に「祝婚歌」という詩があります。「立派すぎることは長持ちしないことだと気付いているほうがいい。」「正しいことを言うときは少しひかえめにするほうがいい。正しいことを言うときは相手を傷つけやすいものだと気付いているほうがいい。」と言っています。
 さて、壊れることを織り込み済みとなると、歩行者や自転車が渡れるくらいの小さな橋になります。「沈下橋」は、流れの近くを渡ることになり、人と川とが触れ合うことにもなります。人と川とが触れ合うことができるとなれば、上流の天気によって急な流れになりそうだ、などと予想して対応を考えることもできます。これは「ワクチン」の発想です。ワクチンは病気にならないためのものではなく、軽く病気にして抵抗力をつけ病気が流行したときに重くならないようにするということです。
 橋から見ると、怒っている者に逆らわないという生き方をするということでもあります。怒りが大きく興奮している人にいくら説明しても聞いてもらえない。それより時間をおいて、落ち着いてから手を入れると意外に簡単に話が通じたりするものです。
 きょうは、2学期のはじめにあたり「橋は考えた」という話をしました。2学期もがんばっていきましょう。

沈下橋