日誌

分散登校スタート(1学期始業式)にあたり、こんなあいさつをしました

 おはようございます。(新2年生、新3年生)進級おめでとうございます。(1年生)皆さんを飯南に迎え、心から歓迎します。みなさんの元気な姿を目にすることができて、とても嬉しく思います。ようやく2020年度がスタートしました。

 まずは、年度当初人事異動についてです。(略)

 先日、保護者の方から生徒のみなさんに使ってほしいとのことで、マスクを5千枚、消毒剤を数十本とたくさんの貴重な品をいただきました。消毒剤などは流しなどに配備しさっそく使わせてもらっています。この場を借りて感謝いたします。

 さて、人から人へと感染する病を「疫病(えやみ)」といいます。実は日本でもしばしば起こる災害の一つです。「えきびょうがみ」とか「やくびょうがみ」という言葉がありますが、伝染病は神の仕業(しわざ)だと思っていたのです。

 疫病を鎮圧するため、神にお願いするお祭りをはじめました。これが有名な京都の祇園祭のルーツです。いまでも続いています。奈良では大仏さまを作りました。伝染病がはやるとまずは神が何に怒っていらっしゃるのか占ってもらい、祈る、お願いするなどでご機嫌を直していただくしかありません。当時の人は一生懸命だったことがわかります。

 病気の正体がわかった現代から見ると何をやっているのかと思うでしょうが、今回のコロナの流行も何百年か後の人たちには何をやっているのかと映るかもしれません。正体がわからないものに恐怖を感じます。

 わたくしたちは、自分ではないものと直接にかかわらなければ生きていけないのですが、様々な場面で、自分でない(=外部の)ものに対して恐怖を感じます。もっというと外部から現れる正体不明なものを敵だとみなします。この敵こそが生きていくうえで必要不可欠な存在でして、敵を敵でないものに変え、自分の中に取り込むことで生きています。

 今回、感染防止のためとはいえ「学校に行ってはいけない」というのですから、「何のために学校に行くのか」を考える機会になりました。

 他人が近くにいるのは恐怖です。この世界・社会も自分以外の他人によって成り立っているわけで、外部から現れる敵を敵でないものに変えて自分の中に取り込むためのやり方、つまり、人とつながるためのからだの動かし方を学ぶ場が必要です。

 学校に行く意味は、人がいて、他人とかかわること。近くに自分と異なる価値観を持った人がいて生の反応を向けてくることが大事なのではないでしょうか。

 人とつながるためのからだの動かし方は本校の3つの校訓「礼儀」「誠実」「協力」にあると思っています。

 「外見は内面の一番外側にある」といいます。内面と外面は一つにつながっているのだから、心の中の状態はからだの動かし方を通して外見に現れる。見た目、外見は、実は見えない内側の心の表れなのです。逆に言えば、外側からからだの動かし方を変えることで心のほう、内側がかわっていく。

 わたくしの見方を言うと、「礼儀」は「あなたを敵と思っていない」ことを表す作法だと思います。だからあなたのことを大切にする。「誠実」は「わたしはあなたの敵ではない」ことを表す作法で、だからうそをつかない、ごまかさない。「協力」は、目で見えない以上の二つを実際に見える形にする作法です。この3つの訓(おしえ)の共通点は、「あなたのことを大切に思っている」ことを表すためのからだの動かし方であることです。

 知識を得るためや高校卒業の資格を取るためなら、本を読むとか、問題集を解くとか、飯南でなくてもできます。飯南では、バーチャル世界を切り、生徒が外部のリアルな世界とつながるよう仕向けています。校内で携帯やスマホを使うなというのは、そういうことです。

 話が長くなったのでこれで終わりにしますが、もっと答えを聞きたいという人はぜひ校長室においでください。校長室のドアが開けてあるときはいつでも歓迎です。